もし空からお金が雨のように降ってきたら、欲望は満たされるのか?
でも、「たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない」とお釈迦様は言っている。
多くの人は自分の欲望を満たすために、お金を必死で追いかけているが、結局お金を追い続けても、手に入れても欲望は満足されない。どうしたら満足できるのだろう?

ここでは、象徴的にお金のことを言っているが、目に見えるもの全て(家、家族、車、地位、財産、宝石)は手に入れたと思っていても、いずれ指の間からスルリと落ちて失うものだからだ。無常。
まるで、掴んだと思ったら消えてしまう霧のよう。まさに雲をつかむような話し。
この手の話しは決して目新しい話題でもなく、よく聞く話し。頭では分かってて、フーンということかも知れない。
私はそんなことを言いたいわけではない。
お釈迦様のコメントは分かるし、否定しない。
私が一番言いたいことは、目に見えるものはいずれ失うものかも知れないが、そんなものでも、それを今一生懸命追いかけているならば、そんな自分を否定しないで例えば空の上から眺めるイメージで「ふ~ん。どうせあの世に持ってけないのに、今自分はお金(など)を追いかけてることが楽しいんだぁ~。」とズーム・バックした状態でいること。
ズーム・インするとしんどくなる。これからはズーム・バックが幸せの鍵かも。徳光さんに会ったら言っておこう(古っ)

これも、ウェルビーイング!
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