子供のいじめや、職場でのハラスメントが右肩上がりで増えているそうだ。。
生きていれば、誰しもいじめや嫌がらせを受けたことはあるだろう。またいじめた側になった人もいるだろう。
会社ではハラスメント対策に向けた研修や教育の機会が増えてきたように思うけれど、子供の世界ではどうだろう?
子供はある意味で残酷だ。平気でひどいことを言ったりやったりするし、やられた子供は深く心に傷を負うもの。


学校教育の専門家やこの分野での専門の方はいろいろ見解をお持ちと思うけれど、私が好きなスマナサーラ長老(スリランカのお坊さんで、日本でも多数著書を出している方)はこんなことを言ってるので紹介したい。

「ボクシングのリングでは殴り合え」
子供たちが、「生存するための技術」を持っていないのが大きな問題です。抵抗すれば一方的にいじめることはできませんよ。「これはいじめではないか!」と大声で叫んだだけでも、相手は後ろに下がります。
それでも相手が殴ろうとするなら、「殴るなら殴れ。その代わり訴えてやる」と言えばいい。
先生が「いじめなんて、ない」と言うなら、職員室で座り込めばいい。
それでも学校が動かないなら警察に行けばいい。
誰にでも自分の身を守る権利があります。子供の安全を守るべき大人がその義務を果たさないなら、警察の前に座り込めばいい。
殴ったりするわけではないから警察には行けない。それでも何となく嫌なことをされるときは、学校に大きなポスターでも張ればいい。「お知らせ。A君とB君がいじめをやっています」とかなんとか大きく書いておくのです。
そういうシンプルな技術で問題は一日で消えます。難しくありません。こんなことができないから腰抜けなのだし、これができたらもう腰抜けではありません。
生きていくのは生存競争で、闘いです。生きている人は例外なくボクシングリングに立っているのです。それでボクシングなら闘わなければならないのです。
「頭を使ってやり返せ」
子供の攻撃には、悪口を言うとかモノを隠すとかいろいろありますが、攻撃された側は基本的には頭を働かせてやり返すしかありません。生存競争ですから、そういう能力は必要です。
とにかく、攻撃を受けているのに反撃しなければ、やられるばかりで自己防衛できません。仲良くするのが普通ですが、誰かがそのシステムを壊したら、自己防衛するしかないのです。
どうしてシステムを壊す人が勝って、何も悪いことをしていない人が負けなくてはならないのですか。それでは道理が通らないでしょう。
私は「怒れ」と言っているのではありません。また怒るとうまくやり返せません。
感情的に言い返すとはよくないのですが、だからと言って負け犬はもっとよくありません。子供というものは、やってはいけない喧嘩で成長するものです。喧嘩がいいわけではありませんが、子供は喧嘩する生き物なのです。
仏教のお坊さんがずいぶん過激なこと、みたいに聞こえるかも知れないけれど、特に子供の世界では、こうした考え方も必要だと思う。逆にこうしたことができる子はいじめられていないかも知れないが。
特に少子化で、兄弟喧嘩も無いし、優しく育てられた子供が多いのかな。それはそれで良いけれど。
いい人だけでも生きていけない。
ただ、大人の世界も似たり寄ったりのところがある。これだけいじめやハラスメントが増えてきているのは、様々な理由があるだろうがしっかりと自分の心身を守ることは重要だと思う。
「事は大げさにすればするほど、解決も早い」のかと思う。頑張っていこう。
これも、ウェルビーイング!
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