ちょっとした入院をしてた時、何もすることが無かった。
これまでは、ともすれば時間を何かで埋めなきゃ、とか、無意識に忙しなくしていたような気がする。
「何もしなくていい時間」「ただぼーっとする時間」しかし、人間の頭には常に自動思考によりいろんな妄想が勝手に湧き上がってくる。
「そういえば、あれ早くしなくちゃ」とか「家の掃除をしなきゃ」とか、脈絡もなく様々な思いが泉のように湧き出てくる。自分が自分から幽体離脱しているかのようにコントロール不能な状態だ。
例えば座禅ではやだ座っているだけで何もしていないようであるが、実は頭のなかは暴風雨のようにあれこれ自動思考が出まくっていると思う。だからこそ、修行ではいちいち脈絡もなく出る妄想に心のピントを合わせることなく、まるで浮かんでは消える雲を見つめるように観察しなさいという。
病院のベッドでそんなことを考えながら、ただひたすら呼吸と身体の感覚に意識を向けていた。
そのうちに、泥水を入れたコップを置いていくと次第に泥が下に沈殿し、澄んだ水と分離するように心のざわつきが収まってきた。
まさに、今ここでに集中する効果だったと思う。
何もしない時間は、まさに自分が試される時間だ。
そうした経験に慣れていくことで、心は次第に育っていくのではないか。
これも、ウェルビーイング!
コメント