自分って何だろう。改めて考えると不思議だ。
例えば、自分の皮膚までが自分とすると、朝食べたバナナは体内に入っているので自分なのか?
それとも、口に入った時点ではバナナで、胃の中で消化されて、栄養分として取り込まれた時点で自分になるのか?
はたまた、床屋に行って髪を切ってもらった時、切り落とされた髪は自分でなくて、頭にくっついている髪の毛は自分なのだろうか?
もし子供の頃に祖父にこんな質問をしたら、「屁理屈ばっか言っとったらいかんわ!」と叱られるかも知れない。
でも、自分って何かを定義することは難しいが、冷静に考えてみると自分というのは勝手に皮膚までと定義しているだけで、定義を変えればどこまでも自分なのかも知れない。
つまり、自分というのは幻想であり、見方を変えれば、世界はただ一つであって、自分も他人も実は同じで、ただただ全体があるだけなのかも知れない。
更に、屁理屈を言えば、この体は両親のDNAを受け継いだものなので、自分の体には両親が宿っているとも考えられるし、その両親の体には祖父母のDNAが宿っていたと考えられる。
そう考えると、今の自分のDNAは数万年前にいた祖先のDNAと同じだし、数万年後にいるかも知れない自分の子孫のDNAは今の自分のDNAと同じだとも言える。
つまり、人類みな兄弟で一つなのだ。
自分を分離された別個の人間と分けて考えるから、比べたり争ったりする。
こんなことを心から感じると、人と競わなくても良いし、人に優しくなれるのではないか。
これも、ウェルビーイング!
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