遺骨を拾って思ったこと

父の火葬を終えて、遺骨を拾いながら思ったこと。

火葬後に担当の方から、「これは足の骨です。これは指の骨です。これは顎の骨です。これは頭頂部の骨です。等々」と細かく説明していただきながら、85年の人生を終えた父の遺骨を拾っていた時に、「あー死んだら自分もこうなるんだ。」という切ない思いとともに、「この骨はいずれどうなるんだろう。お墓に納骨する骨もあるけれど、最後は灰となり土に還っていくのだろう。」という思い。

そして、これは父の骨とか言うけれど、人間誰の骨でも同じではないか。もし父の骨と見知らぬ第三者の骨が混ざって、一緒に灰になったとしたら、父と他人の区別ができるのだろうか?という思い。

つまり、生きているうちは「やれ自分が」とか「自分らしく」とか「俺はお前とは違う」とか言うけれど、結局のところ自分と他人を明確に区分することはできないんじゃないか。結局、自分も他人も同じなんだという奇妙で不思議な感覚を持った。

自分も他人も同じであれば、自分を大切にするように、他人のことも大切にできるはず。
自分も他人も同じであれば、人と比べたり、勝った負けたと争う必要もないはず。
自分も他人も同じであれば、人を羨んだり、人を蔑んだりする必要もないはず。

人間は結局は骨になって、灰になって、溶けてしまう存在。

父は最後、そんなメッセージを残してくれたのかも知れないと思った。

これも、ウェルビーイング!

昭和~令和までサラリーマンやってます。心がフッと軽くなる考え方や、元気に生きて行こうという気持ちになるブログを目指してます。誰かのために、もっとWell Being(幸福)な世の中のために!

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