もし名刺が無かったら、「あなたは誰ですか?あなたは何をやっている人ですか?」と聞かれたら、どう答えるのだろうか。
昔からそんなことを漠然と考えてきた。学生時代であれば、〇〇大学で△△部に入っていますとか、社会人であれば〇〇会社で△△をやっています、と言うのだろう。簡単なこと。
しかし、それが無くなったらどーする?
つまり、これまでの「居場所」が無くなったら、どーするのだろう?
そこで、「居場所」というものを、もっと拡大解釈してみてはどうだろう。
「居場所」は単に空間的な場所だけだけを指すのではなく、これまで生きてきた時間的な流れや自分が好きなことと定義すればいいのではないか。それが自分が納得できる居場所と言っても良いかもしれない。
例えば、生まれ育った故郷が自分にとって最も落ち着ける所だという人もいるだろう。過去はもう終わったことではなく、現在や未来と一体となって自分を支える居場所になることもある。
「これをやっているとき(ここにいること)が、一番私が私なのだ」といった自分自身と居場所を結びつけることが大切になるのではないだろうか。
私の場合は、地元の友人、ランニング、60年代~80年代のロック、ウェルビーイング大学、互いにバカ話で笑えるボート部の友人あたりが自分の居場所と言えそう。
居場所を持つこと。
これも、ウェルビーイング!
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