井上陽水の名曲「人生が2度あれば」を久々に聴いた。
この曲は自分が親の期待に応えられず、自分の教育と養いで親の貴重な人生を奪ってしまったという懺悔の気持ち。そして、親自身のための人生が2度あれば、という切ない願いが表現されている。歌の最後に井上陽水の嗚咽が少し漏れていることも印象的だ。
この曲が発表されたのが1972年なので、今から約50年前。この当時と違って今は平均年齢も長くなり、60歳を過ぎても普通に働く人が多く、現在はほとんどの人が「人生を2度」過ごす時代に入っている。
父は今年二月で六十五
顔のシワはふえてゆくばかり
仕事に追われ このごろやっと ゆとりができた父の湯呑み茶碗は欠けている
それにお茶を入れて飲んでいる
湯飲みに写る 自分の顔をじっと見ている
人生が二度あれば この人生が二度あれば母は今年九月で六十四
子供だけの為に年とった
母の細い手 つけもの石を持ち上げているそんな母を見てると人生が
誰の為にあるのかわからない
子供を育て 家族の為に年老いた母
人生が二度あれば この人生が二度あれば父と母がこたつでお茶を飲み
若い頃の事を話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように人生が二度あれば この人生が二度あれば
人生が二度あれば この人生が二度あれば
私も親にはたくさん心配や苦労をかけてしまった。この歌詞で、「人生がだれの為にあるのかわからない」のフレーズが胸に深く刺さる。私の母親はずっと苦労し、これからという時に癌で亡くなったが、人生が2度あればと想っていたのかも知れない。。
貴重な人生の時間を無駄にしないよう。
これも、ウェルビーイング!
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