浮き沈みあってこそ人生

日経新聞の夕刊から。トレイルランナーの鏑木さんの記事(抜粋)
本当にそうだと思う。

幼い頃、祖母は口癖のように「毅くん、生きていると悪い時もあれば、良い時もあるよ」と諭してくれた。私の人生はまさにアップダウンの連続で、2年の浪人の末に受かった念願の大学へ進んだものの、箱根駅伝を走るという夢はあえなくついえた。

 そして28歳で運命ともいうべきトレイルランニングと出合い、いくつもの山や谷を越えながら、最終的には世界のトップレベルにまでたどり着くことができた。決して諦めなかったのは祖母の言葉のおかげかもしれないと今になって思う。

 50歳をすぎてからは気持ちの持ちようが変化した。「底」だと思う時には、少し我慢すれば運気が上がるはずだと思えるようになり、精神的に耐えられるようになった。

 新型コロナウイルス禍でも「こんな時にしかできないことを見つけよう」と考えたし、けがをした今は「走れない時にこそできるトレーニング法を考案しよう」。できるだけ楽観的に物事をとらえ、前向きに行動するよう心がけている。

 嵐が去るのを座して待つだけでなく、来るべき上昇カーブに転じる瞬間を予測して準備する。いつまでたっても未熟者だと悩みは尽きなかったけれど、ようやく人生という大河を渡る自分なりの操船法を身につけつつあると感じる。おぼろげながらではあるが。

 今が幸せだと思う時には、もしかしたらまた下降に転じる時期が来るかもしれないと心配にもなる。ただ「底」を乗り切るやり方を体得していれば、先行きへの不安は多少なりとも軽減するというものだろう。

 この春ようやくイベントや大会なども順調に進み始め、心躍る気持ちになったところで、アキレス腱(けん)部分断裂というけがに見舞われた。さすがにがっくりした。コロナ禍さえ過ぎ去れば不安な精神状態から脱することができると思い、今このときを待ち焦がれていた。それだけにやるせない。人生は本当にうまくいかないものだとため息をついた。

 以前、著名な実業家から話を聞く機会があった。一代で事業を興したたたき上げで、誰もがうらやむサクセスストーリーそのものの人生に見えた。「日々さぞかし楽しく充実されているのでしょうね」と尋ねると、意外な答えが返ってきた。

 「はた目にはそう思われているかもしれません。いつも不安な気持ちでいっぱいですよ」。挫折と成功を繰り返し、自分が築いたものがいつかは崩れるのではないかという恐怖にかられ、仕事のやりがいを心から楽しめる時間はあまりないそうだ。何かをなし遂げた満足感に浸ってばかりもいられない。世間一般の見方と成功者本人の心情はここまで落差があるのかと驚いた。

 苦しい時には、誰しも何かにすがりたくなり、自己啓発書を読み漁ったり、さまざまな人の話を聞いたりするかもしれない。だが人生は人それぞれ、各自が自身の人生の第一人者。結局は自力で処世術を身に着けるしか道はない。

 「底」は永遠に続くわけでなく、いつかは必ず上向きになる。不安こそが人生を面白くしてくれるという悟りの境地にやっとたどりつけた気がする。これもけがのおかげ。

人生長くやってればそういうものだと思う。誰でも苦労はしたくないが、苦労も味わい深くていいものだと考えてみよう。

これも、ウェルビーイング!

昭和~令和までサラリーマンやってます。心がフッと軽くなる考え方や、元気に生きて行こうという気持ちになるブログを目指してます。誰かのために、もっとWell Being(幸福)な世の中のために!

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