小学校から大学まで一貫の学校があるが、あれはどうなんだろうとずっと思っていた。
こういう学校に入れる親の発想は、将来大学受験の勉強をさせることは大変だから、まだ訳の分からない幼児の時にエスカレーター式の学校にいれとけば安心というものだろう。
親としては、「受験をどうしようという不安はしなくて済むし」子どもは、「伸び伸び育つはず」という考え方が大層ではないか。
その考えは甚だ疑問だ。
私が思う理由は2つある。
1つは、大学受験勉強はやったほうが成長できる。
これは受験勉強が真の知性に有意義ということではなく、不毛な暗記教育でバカバカしいことではあるが、こうした不毛な勉強をしなければならないのは、現在の社会が未熟で不完全であり、自分が生き延びるために行わざるを得ない「必要悪」であると本人が意識することができるから。幼稚園が小学校受験するのとは訳が違う。
2つめは、大学受験に失敗して浪人することもあるが、そうした挫折もその後の人生にとってプラスになるからだ。
優しい人とは、人の痛みが分かる人。
人の痛みが分かる人とは、自分もその痛みを知ってる人。
大学に入ろうと青春の一時期に必死になったことがある人は、努力の価値が分かる。
大学受験に失敗したことがある人は、落ちた人の気持ちが分かる。
病気になったことがある人は、病気で苦しんでいる人の気持ちが分かる。
お金で苦労したことがある人は、お金の無い人の気持ちが分かる。
親を亡くしたことがある人は、親を亡くした人の気持ちが分かる。
そう考えると、苦労や痛みを伴う経験はある程度早いうちにしといたほうが、人として優しい人に成長できるのではないか。
苦労知らずの人間に人は魅力を感じるだろうか?後で苦労させないように教育することは、結局あとで子どもは苦労する。
苦労させることは良いこと。
これも、ウェルビーイング!
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