「努力」した人が成功する、という誤解

努力すれば本当に成功するんだろうか??

例えば、ある野球少年が、毎日熱心に日が暮れるまで練習をして、その後、大リーグで活躍するほどの選手になったとしたら。

きっと近所の人々は「○○君は、毎日欠かさず日が暮れるまで努力したからこそ、あそこまで成功したんだ。やっぱり、人一倍努力した人間が最後には勝つんだ」と言いがちだ。

 しかし、当の本人にこの話をぶつけてみると、意外にも「いや、僕は人一倍努力をしたという自覚はありません。ただ野球が好きで、もっとうまくなりたいという一心で、やりたいからやってきただけなんです」と言うことが想像できる。

野球に限らず、様々なジャンルで成功したと言われる人々は、かなりこれに近い現実があるように思える。つまり、本人にとって「熱中」と呼ぶべきものを、ともすると、傍で見ている人間が「努力」と誤って見てしまうのではないかということ。

 子供が砂場で日が暮れるまで砂の城を作ったり、ゲームを徹夜でクリアしたり、エレキギターの練習に夢中になることは、周りからは滅多に「努力」と呼ばれることはない。しかし、ことこれが勉強やスポーツのトレーニング、ピアノやヴァイオリンの練習などの場合には、たとえ本人にとっては「熱中」と呼ぶべき内実だったとしても、周囲からは一律に「努力」として捉えられがちな傾向がある。

これって変だと思う。同じことなのに。

話しは逸れるが、将棋の藤井さんは凄いと賞賛されるのに、ゲームばかりやってる人に対しては「ゲームばかりやってないで少しは勉強しなさい」と叱られることがある。

でも、将棋もただのゲームにしか過ぎない。藤井さんとゲーマーと何が違うのか。同じこと。

何が言いたいかと言うと、努力は自分以外の第三者が勝手にコメントするだけのことで、当の本人は傍から見たら努力してると思われているかもしれないが、実のところワクワクして熱中してるだけのこと。

だから、努力=成功というのは違和感がある。

むしろ、うんうん努力することは無理していて良くない。だから「努力すれば成功するよ」というアドバイスは違う気がする。むしろ「ワクワクして熱中することをやればいいよ」とだけアドバイスすればいいと思う。

これも、ウェルビーイング!

昭和~令和までサラリーマンやってます。心がフッと軽くなる考え方や、元気に生きて行こうという気持ちになるブログを目指してます。誰かのために、もっとWell Being(幸福)な世の中のために!

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