明王は誰でも一度は見たことがあるだろう。
お寺の門で怖い顔をして立ってる仏像のこと。

ウィキペディアによると、明王とは、密教における最高仏尊大日如来の命を受け、仏教に未だ帰依しない民衆を帰依させようとする役割を担った佛尊を指す。単なる怒りを表現しているのではなく、
- 仏教に帰依しない民衆を畏怖させてでも教えに帰依させんとする気迫を表したもの
- 仏教に帰依せず、仮の快楽に心浮かれている民衆の有り様に心砕く様=丁度親不孝者の一人息子の将来に心を砕く老いた父親の内心の如き悲しみを表したもの
- 仏界を脅かす煩悩や教えを踏みにじる悪に対する護法の怒り
優しいだけではない、「愛」の怒り
自分のことを顧みず、本当に相手のことを想って接することがあるだろうか?
よく親や教師が「あなたのためになるから、、」とか、「あなたの将来のためだから、、」とか言って、実は親や教師の体裁を保つためにエゴを子どもに押し付けるたちの悪い見せかけの愛みたいなものがあるけど、それとは根本的に違う。
また、最近では「褒めて育てよう」という言葉が独り歩きして、逆に甘やかせて堕落させてしまうことだってあると思う。
そんなことを伝える、谷川俊太郎と荒木経惟の詩があった。
「やさしさは愛じゃない」
やさしさしさしかなかったんだね。
でもやさしさは愛じゃない、
やさしさはぬるま湯、
私はふやけてしまったよ。
ひっぱたいてくれればよかったのに、
怒り狂ってほしかったのに、
殺してもよかったのに。
あなたは私を褒めたたえてばかりいた。
その眼鏡の奥のひんやりしたふたつの目で、
男の、
欲望の、
きりのない、
みのりのない、
やさしさで。
岡崎高校合唱部が歌っていた。(2分30秒~)
やさしさは愛じゃない。
考えさせられた。。
これも、ウェルビーイング!
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