2020年3月から毎日ブログ書いてきて思うことがいくつかある。
ここに書いてあることは、まず私にとってこう考えたら幸せなんだろうなと思うことの備忘録。
なので、変な話しだが、時々このブログの検索機能をつかって、あーそーだったと自分で納得したりしている。
そう言う意味で、まず自分にとって大変貴重な情報源になってきたなという思い。
あと思うことは、幸せの違和感だ。
具体的にはブログを始めた頃はまだウェルビーイングという言葉はそれほど世の中に知られてなかったが、今や当たり前のようにウェルビーイングという言葉を見かける。
「ウェルビーイング経営、、」ウェルビーイングなチーム作り、、」と。
ウェルビーイングは、心と身体と社会的なつながりが良好な状態のこと(WHOの定義)
つまり、幸せということだと思う。
ただ、幸せという極めて抽象的な概念だけが、1人歩きして、何でもウェルビーイングをつければいいという風潮になっているように思う。
特に、ウェルビーイング界隈では、「はい、私幸せでーす。いつもウェルビーイングでーす。」と満面の笑顔の人たちがいて、??という違和感を禁じ得ない。
どこに違和感を感じるのだろう?私が捻くれ者たからか?(きっとそうかも、、)
相手は全く悪くないし、無邪気で宜しい。
違和感はあくまで私の感じ方だ。

私の描く幸せは、イエーッ!という高揚感に溢れた笑顔やFacebookでのハッピーオーラではない。
静かに座って微笑んでいるような穏やかな状態が幸福だなぁとしっくりくる。
もっと言うと、心が身体が社会的なつながりが、という条件をみたさなくても、そういう所作が自然とできて微笑んでいられる状態(being)
なので、人付き合いができなくても、引きこもってても、社交的でなくても、自分が静かに微笑んでいられればよい。
幸福の違和感というのは、最近は幸福の押し付けというか、こうすべきだ、あーだこーだとうるさいことに対する違和感なのだ。
人それぞれでいい。ウェルビーイングもわざわざ本に書いたり、学部まで作って研究することでもないだろう(ウェルビーイング大学から怒られそう)
このことについて仏教はいいこといっている。
それは「犀の角のように、ただ独り歩め」ということ。(これは別途書きます)
これも、ウェルビーイング!
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