これも、日経新聞の記事。いいこと書いてあったので備忘。
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世阿弥が『花鏡(かきょう)』に記した、「目を前に見て、心を後(うしろ)に置け」という舞の心得である。これは、主観で世の中に対峙しつつも、客観的に自分を含めた総体を眺めよ、という生きる上で不可欠な構えにも感じられる。
幸せの定義は曖昧だ。人によって満たされることは異なるし、心は常に移ろうからだ。望んでいたことが実現したのに、空虚を覚えることもある。反対に、道を逸(そ)れてしまったと嘆いていたら、そこが非常に性に合っていた、ということもある。
だから、幸せに固執することも、他者から幸せと見られるべく飾ることも、実はあんまり意味がないように思う。
悩みや不安は、生きている限り誰しもついて回る。そういう自分を否定する必要もない。幸せであるなしにこだわらず、泣いたり笑ったり、嘆いたり苦しんだりする自分を、少し離れたところから眺めて、「今日も一所懸命(いっしょけんめい)生きとるな」と、頷(うなず)くくらいでいいのだ。広く周りを見渡せば、きっと同じように、もがいている人たちが見えてくる。
いつかは終わる人生だ。それまでの道程を正直に味わうのも尊いことではないか。風雨にさらされた岩肌や流木が思いがけない美しさを放つように、挫折や苦悩を積んだ人は、佇(たたず)んでいるだけで匂い立つような、気高い風趣を身にまとっている。(引用終わり)
これも、ウェルビーイング!
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