よく「孤独だ~」とか「孤独は辛い」という言葉を耳にする。
人は誰でも一人で生まれて、一人で死んでゆくもの。
記憶にないけれど、いくら思い出しても思い出せないけど、一人でこの世に生まれたと思うし、多分死ぬときも一人で目を閉じて死んでいくんだろうなと思う。
そう考えると、「孤独」であることから目をそらさずに、むしろ当たり前のことと思って腹をくくったほうがいいのではないか。
SNSでいくら外と繋がっていても、気を紛らわしているだけに過ぎない。
そんなことを時々考えてたとき、茨木のり子さんの「一人は賑やか」という詩を見つけた。

一人でいるのは 賑やかだ 賑やかな賑やかな森だよ
夢がぱちぱち はぜてくる よからぬ思いも 湧いてくる
エーデルワイスも 毒の茸も一人でいるのは 賑やかだ 賑やかな賑やかな海だよ
水平線もかたむいて 荒れに荒れっちまう夜もある
なぎの日生まれる馬鹿貝もある一人でいるのは賑やかだ 誓って負け惜しみなんかじゃない
一人でいるとき淋しいやつが 二人寄ったら なお淋しいおおぜい寄ったなら だ だ だ だっと 堕落だな
恋人よ
まだどこにいるのかもわからない 君
一人でいるとき 一番賑やかなヤツであってくれ
誰かと映画を観る時、一緒に同じスクリーンを見てても、心の中では一人でいろいろ考えたり思ったりしてるし、誰かと食事をしていても、おいしいと感じるのは自分ひとりで感じるもの。もちろん一緒に会話したりする楽しみはあるけど。
また、一人でいることが本当に淋しいことだろうか。一人でいることが楽しいことだってたくさんあるはずだし、一人でいても楽しく過ごせる人と一緒にいれば尚楽しい。
逆に、一人で楽しく過ごせない淋しい人達がいくら集まったって、なんか楽しくなさそうだ。
そういう意味で考えると、この詩「 一人でいるとき淋しいやつが 二人寄ったら なお淋しい 」というフレーズは分かる気がする。
誰かに依存して孤独を紛らわそうとしても難しい。
まずは、人間は孤独な生き物だということを理解しつつ、でもその中で一人でも賑やかに暮らせるという道を見つけること。そして、そういう人達と寄り添うことでますます充実した人生を送ることができるのかもしれない。
ウェルビーイングの言葉の意味に、社会的な繋がりによる幸福という考え方がある。
社会的に人とつながる前に、「一人でも賑やか」な自分でいよう。
これも、ウェルビーイング!
コメント