Youtubeでたまたまこの方を知って大変面白かった。
松波さんは「実験寺院寳幢寺僧院長 僧侶・思想家 大阪外国語大学(現:大阪大学)外国語学部卒・同大学院地域言語社会研究科博士前期課程修了。 ミャンマーの仏教儀礼を研究するうちに研究よりも実践に心惹かれ出家。 現代社会に意味を発揮する仏教を志し、京都に「実験寺院」を設立。」
という人。
たまたま、古舘伊知郎さんのYoutubeに出てきて見てたら、思わず見入ってしまった。
仏教を昔の教えとしてそのまま受け取るのではなく、現代を生きる私たちが、毎日の生活の中で使える「思考の道具」として捉えているのだ。
例えば、龍源さんが話す「空」という考え方がある。
難しそうに聞こえるが、ものごとには最初から固定された意味があるわけではなく、周りとの関係や自分の認識によって、意味や見え方が変わるという考え方だ。
これを日常生活に当てはめてみると、面白い。
誰かから「あなたは仕事ができるね」と言われれば嬉しくなる。
反対に、「仕事が遅いね」と言われれば、落ち込む。でも、その言葉によって自分の価値が決まったわけではない。相手との関係や、そのときの状況によって生まれた一つの評価にすぎない。それなのに私たちは、その評価を「絶対的な事実」のように受け取ってしまう。そして苦しくなる。
これって、まさに私たちの日常ではないだろうか。
「あの人は私を嫌っている。」「自分は評価されていない。」「普通はこうするものだ。」「私はこういう人間だ。」こうした思い込みが、自分自身を苦しめていることがある。
そう考えると、仏教は「昔の人が信じた宗教」というより、人間の心がどうして苦しくなるのかを、ものすごく細かく観察した知恵なのではないかと思えてくる。
誰かにちょっと嫌なことを言われると、「なんでそんなこと言うんだ。」「自分のほうが正しい。」と、心が一瞬で反応する。でも、少し時間を置いて考えると、「相手には相手の事情があったのかもしれない」と思えることがある。
つまり、苦しみの一部は「相手がそうしたこと」だけではなく、自分がその出来事にどんな意味を与えたかによって生まれているのかもしれない。
そう考えると、仏教は人生を少し楽にするための、とても実用的な知恵に見えてくる。
そして、ここが私には面白い。
仏教は約2500年前から、人間の「怒り」「欲」「執着」「思い込み」「不安」といったものをずっと観察してきた。
一方、現代人はスマートフォン、SNS、AI、仕事、人間関係など、昔とは比べものにならないほど多くの情報に囲まれている。便利になったはずなのに、心が忙しい。
だからこそ、2500年前の仏教の知恵が、今の時代にむしろ必要なのではないかと思う。
もちろん、私は仏教の専門家でもなければ、悟った人間でもない。むしろ、すぐイラッとするし、自分が正しいと思うし、欲もたくさんある。

だからこそ、仏教を「信じなければならないもの」としてではなく、自分の心を観察するための道具として使ってみたいと思う。
怒ったときに、「なぜ相手は悪いのか」と考える前に、「今、自分の心の中で何が起きているんだろう?」と見てみる。誰かに評価されて嬉しくなったときにも、「今、自分は評価にしがみついているな。」と気づいてみる。
それだけでも、少し自由になれる気がする。
私は、これからの時代には、もっと仏教を「活用」していいのではないかと思っている。お寺や仏壇の中だけに置いておくには、あまりにもったいない。怒りを感じたとき。人間関係で悩んだとき。仕事で落ち込んだとき。将来が不安になったとき。
そんな日常のど真ん中で使ってこそ、仏教の知恵は生きてくるのではないだろうか。
「仏教は面白い。」
そして、「もしかすると、今を生きる私たちにこそ必要なのではないか。」
これも、ウェルビーイング!



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