とある僧侶のコメントが心に引っ掛かったので。
(引用です)
少し乱暴な言い方になりますが、仏教の視点から眺めるなら、青年期から60歳頃までの人生は、何をしても案外似たり寄ったり、どんぐりの背比べではないでしょうか。
もちろん、お金儲けの上手な人も下手な人もいます。社会的に成功した人も、そうでない人もいます。結婚した人も、しなかった人もいます。
しかし、大金持ちには大金持ちの苦労があり、貧しい人には貧しい人の苦労があります。有名人には有名人の苦労があり、無名のまま静かに生きた人にも苦労があります。
お釈迦さまの智慧から見れば、この世のあらゆるものは究極の拠り所とはならず、すべては dukkha(思いどおりにならないもの) であると説かれています。
それはまた、どのようなものにも絶対的な価値はなく、人生には永遠に安心して寄りかかれるものも、場所もないという意味も含まれています。
ですから、私の目には、人の人生はどれも似たり寄ったりに映ります。
しかし、その方が晩年をどのように生きられたのか。どのように人と接し、何を大切にし、どのような心で人生を終えようとされたのか。そこには、とても大きな違いが見えてきます。
それは、葬儀の派手さでも、動いたお金の大きさでも測れるものではありません。
結局のところ、その方が自分の人生にきっぱりと別れを告げ、お金や財産、地位や名誉、家族への愛情さえも含め、あらゆる執着を手放して、明るくこの世を去って逝かれたかどうか。その一点が、私には何より大切なことのように思えるのです。
つまり、この世への未練や執着を手放せたかどうか。それだけが本当に大切なのではないか、と私は考えるようになりました。
だから私は毎日、「いつ死んでも大丈夫です」と心の中で宣言して、一日を生きています。
どうでしょう。これなら完全に平等です。
得ることは難しくても、捨てることなら誰にでもできます。
(引用終わり)
スティーブジョブズも同じようなことを言ってたような。

「どのようなものにも絶対的な価値はなく、人生には永遠に安心して寄りかかれるものも場所もない」
人生には最初から模範解答が最初から与えられている。しかし、それでもテストに間違えてしまうことも多々ある。
テストに合格したいもの。
これも、ウェルビーイング!



コメント