イラストレーター、漫画家で「マイブーム」という言葉を作った「みうらじゅん」さん。
みうらさんの中高は京都の浄土宗の学校で、自分の中高とも兄弟校でもあり、親近感を持っている。
彼のものの見方や考え方は、仏教の考え方をベースにしていて、とてもユニークで面白い。
また、彼は子供の頃から仏像とか仏教が好きだったそうだ。
彼は本当にくだらなーい事を言ってるけど、実は奥深く、幸せやウェルビーイングに繋がることを伝えている。不真面目に見えるけど、幸せになる考え方をユニークに伝えてくれる人だと思うので、少し紹介したい。
中高のエピソード
まずは、こんな話し。

ちなみに私は、キリスト教系の学校を「ミッション系」と呼ぶのにならって、仏教系の学校を「シャクソン(釈尊)系」と呼んでいました。
同級生の三分の一くらいは、お寺の息子さんでした。しかし、彼らはその時期、仏教にも仏像にも興味がなく、頭の中は、いかに「ツッパるか」でいっぱいのようでした。
彼らのエネルギーもあって、学園は大変荒れていました。当時の不良の髪型は、まだリーゼントではなくパンチパーマでした。荒行をする彼らと、彼らが逃れたかったはずのお釈迦さんが不覚にも同じ髪型であるというのは、何とも皮肉な話です。彼らがどんなにツッパっていても、それはお釈迦さんの手の平の上でのことだったわけです。

自分が将来念願の住職になったとして、その寺をどのようなものにするかのか。そのビジョンが固まったのは、中学二年生の時に、ジョンレノンのソロアルバム「イマジン」が発売された時です。それにインスパイアされ、寺の名前を「イマ寺院」と決めました。
ジョンレノンは、その歌詞の中で「天国なんてない、地獄もない。国境も無い。所有しているものは無い」と歌っていて、般若心経に通じるものがあった。
笑える、、
自分を変えることを恐れるな
仏教では、「無我」つまり「本当の自分」なんてものはない、ということを2500年前から説いています。
私は、「自分探し」よりもむしろ、「自分なくし」のほうが大事なのではないかと思っています。お釈迦さんの教えにならい、「自分探しの旅」ではなくて、「自分なくしの旅」をすべきです。
「本当の自分とは何か?」「自分らしさとは何だろう?」ということを、どれだけ真剣に考えても答えなんて出るわけありません。
自分というものがこの世で一番厄介で面倒臭いものだからです。それをなぜみなさんがわざわざ探そうとするのか、不思議でなりません。
でも、だからといって、すぐに自分をなくすことができるわけでもありません。
でも方法はあります。
それは、「憧れの人、その人になりたい!」と思って、必死に真似をしているとき、自分は無くなっています。その人になりたいと思って、出来るだけ真似をする。つまり誰かを好きになって夢中になる、という癖をつければいいのです。
それは、自分をなくしていく技術を獲得することでもあるのです。
そして、リスペクトする人をどうしても真似しきれなかった余りの部分、いわゆるそれがコンプレックスと呼ばれるものですが、そのコンプレックスこそが「自分」なのであって「個性」なのです。
年を取ると、なかなか自分を変えることができなくなりますが、「自分なくし」というのは、自分を変えるためにリセットするという考え方でもあります。
この考え方って、いいなぁと思う。
自分はこうだ、という凝り固まった殻を破って、もっと軽やかに、そして憧れの人を真似をすることでなりたい自分に近づく。
年を取ればとるほど、「自分はこうだ」という呪縛に縛られがちだ。でもそれって、もっと自分らしい生き方に制限をかけているかも知れない。
逆説的だけど、「自分なくしの旅」をすることで、新たな視界が開けてくるかも知れない。
これもウェルビーイング!

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