私は記憶力が良いのか悪いのか分からなくなる時がある。
過去の記憶がすっかり抜けていることがある。友人から「あの時こうだったよな」とか「あの店良かったよな」などなど、いくら思い出しても出てこないことがある。
一方で、どうでも良い些細なことは妙に覚えていたりする。
「坐忘(ざぼう)」とは、座って心を静め、自己への執着、煩悩、雑念をすべて忘れ去り、自然の真理(道:タオ)と一体になる禅の境地のこと。中国の古典『荘子』に由来し、心身を解放して無の境地に至る「忘己」のプロセスのことを指す言葉。

しかし、そんな深い意味でもなく、人間の記憶というのはあやふやなものだとつくづく思うし、もしかしたら、あえて忘れることで何かを得るようにできているのかも知れない。
例えば自転車を乗る時のことを思い出してみると、最初は体をこうつかって、重心をこう移動して、ペダルをこう踏んだらハンドルをこう持って、などなど体の使い方を意識して覚えているけれど、いったん乗れるようになったらそうしたプロセス自体を忘れてします。
つまり、忘れること=意識しないでいること、が次の高みに向かうことなのかも知れない。
例えば、良い言葉を使おうとか、人に優しくしようと思っているだけではだめで、自然に無意識にふるまえるようになることが成長なのだろう。
坐忘にはそんな意味もあるのかも知れない。
なので、屁理屈だと思うけれど、忘れることは次の高みに向かうための進歩なのかも知れない。
なので、いろいろ忘れることがあっても許して欲しい(笑)
これも、ウェルビーイング!



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