「人生とはレンタル尽くしの借りぐらし」とは長老の言葉。
自分の肉体も人生も何もかも、生きている間に一時借りてるだけのもので、いつかはお返ししなければならない。➡確かにそうだと思う。
借りるためにはレンタル料がかかる。➡確かにそうだと思う。
人間の間違いは「あの経験をもう一度」と願うこと。子供に執着しても、子供は一時的に親に依存しているだけで、すぐに自立してしまう。夫婦や親子も、ずっと一緒にはいられない。

すべては別れ、離れていく。自分の身体でさえ、生活習慣病にかかったり、加齢で節々が痛んで動けなくなったり、頭がボケてきたり、癌が見つかったりと、全く思うようにならないだろう。
「私の」という考えから苦しみが生まれる。現実には「私の家」「私の家族」も成り立たず、すべてレンタル。身体もレンタルで、生きるために料金を払い続ける必要がある。
死ぬ瞬間まで払い、死後も遺体の処理に誰かが払う。
人生はレンタルだと理解すれば、楽に生きられよう。
文句を言わず、わがままを言わず、納得して生きよう。執着を手放すことができるように。
執着まみれの自分もレンタルしてるものと思えば、執着まみれの自分に執着しなくなるのか。
これも、ウェルビーイング!


