名前は知ってたけど、すごい映画だった。
最近の(これまでの)様々な通り魔事件、無差別殺人事件などに関わる人の心理がここにあるような気がした。
「承認欲求」が満たされない。
この言葉に集約されるのではないか。このブログで何度も書いたけれど、人は生まれながらにして「承認欲求」がある。「承認欲求』は人間の本能だ。
では、誰に「承認」されたいか?
自分の親、友人、職場、地域、社会、などなど。承認という言葉を「居場所」に置き換えてもいいと思う。

だから、承認されないと辛い、承認されないと悲しい、承認されないと怒りが湧いてくる、承認さらないと承認しない奴が悪い、という歪んだ衝動を持つ人も出てくるかも知れない。
信仰心が篤い人であれば、神様に認められたいとか思うかも知れないし、自分が自分を承認している(=自分が自分のことを受け入れている)人もいるだろう。
いずれにしても、『承認欲求」はこれほどまでに強いものだ。
あのトランプ大統領なんてまさに分かりやすいのではないか。承認欲求の塊だろう。
私はこの「承認欲求」が悪いと言ってる訳ではなく、人には本能として食欲や生存欲のように、承認欲求がプログラムとして組み込まれているということを理解しておくことが大事といことを言いたい。
だからこそ、家族や友人や職場の仲間には「ありがとう」「おはよう」「助かってるよ」など、気前よく言葉を発することが大事なんだと強く思う。相手の承認欲求を意識すること。
マザーテレサは、「愛の反対は『無関心』です」と言った。
まさに『無関心』とは、相手の存在を「承認していない』ことと同義だろう。
映画Jokerを観て、改めてそんな思いを強くした。
人の心の奥底を理解して、平和な社会にしていこう。
これも、ウェルビーイング!