以前このブログで書いた「感謝日記」を、その後継続して毎日書いているので、どんなことを書いているのか少し検証してみた。
すると、本当に感謝することって日常のほんの些細なことばかりだった。
- 「朝、外に出て見上げる空が青く、山の緑がきれいだったー」
- 「昨日、よく眠れてすっきり目が覚めた」
- 「晩御飯が美味しかった」
- 「Netflixで観た映画が面白かった」
- 「会社で、楽しい打ち合わせができた」
と、本当にどこにでもある普通の日常に感謝することが満ち溢れていた。
特別にドラマチックなことでもなく、普通なことに感謝しているんだなーと思った。こうして日記に書いてみると、つくづく幸せを感じる。
そこで、20年前、京都に住んでいた時に竜安寺で買って、気に入ってる言葉を思い出した。
吾唯足知(われ、ただ足るを知る)

これ、各漢字の口の部分を一つにしてデザインされていて、上の文字から右回りに読んでいく。最初見たときは何て読むのか分からなかった。。
この「われ、ただ足るを知る」という言葉、どんな風な意味だろうか?
多くの人は、「贅沢を考えずに、不平不満を持たずに、今あるもので十分ということを知りなさい。」みたいな、清貧の思想的な意味に思われているんじゃないかな?
ただ、清貧の思想って「贅沢を夢見ないで、充分あるんだと思って、貧しくても工夫していこう」って感じで、なんか我慢して無理している感じがある。
もっと、豊かな発想
でも、こんな風にも考えられるのではないかな。
つまり、「われ、ただ足るを知る」という言葉は、「私には、いつでもどこでも、必要なものがすべてそろっている」って解釈すると、そこにどれぐらいの量があるのかは関係ないのではないか。
他の人が見たら、「足りない」と思う量であっても、 逆に「多すぎる」と思う量であっても、量の多少とは関係なく、ただ「満ち足りている」ということ。
「必要なものがすべて、すでにある」ということ。
そう考えると、この「吾唯足知」という4文字は、宇宙全体の大きな豊かさをあらわしている言葉のようにも思える。
なんか、「贅沢を夢見ないで、充分あるんだと思って、貧しくても工夫していこう」って感じじゃなくて、「無限に満ち足りた宇宙の流れの中では、足りないとか無くなるなんてことはありえない!」って言ってくれいるように感じる。
何かを求めるという気持ちは、現時点ではそれを得ているわけではないので、「不足している」「足りない」という常に喉が渇いた状態である。
それよりも、日常の中に必要なものは全てあるんだという豊かな気持ちを常に持ち続けることが大事かなと思う。
これも、大切なウェルビーイング!
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