山登り的人生観と川下り的人生観

これは、最近読んだ本「本当の自分を生きる」(榎本英剛氏:先輩)でなるほどと思った言葉。

僕のようなバブル世代はそろそろ、会社での定年を迎えるが、まだまだ長い人生をこれからどう生きていこうかと考えている人はとても多いと思う。

もう少しズームバックして大きく考えると、人生をゴールのある「すごろく」と考えるか、それとも常に進化し続ける「プロセス」ととらえるかという人生観の問題にかかってくる。

すごろくというのは、スタートがあってゴールがあるもの。しかもゴールは一つだけ。プロセスはまさに人それぞれのもの。

どれが正しい、どれが間違っているというものではなく、その人にとって「役に立っているか、否か」という違いがあるだけだと筆者は言う。

いわば、人生観とはメガネのようなもので、どんなメガネをかけて自分の人生を見ているかということだと思う。

役に立つメガネとは

役に立つメガネ=役に立つ考え方とは、そうした見方をしたときに、その人の中から力が湧いてくるかどうかということを意味するという。

しかも「人生観」の場合は、一時的に力が湧いてくるというよりも、それこそ人生を通して力が湧いてくるかどうかが肝心だと。

なるほど、ずっと自分を勇気づけてくれて、力を与えてくれる考え方を持ったほうが幸せだ。

この前のブログ(バルミューダ)でも書いたが、何か物を得ることが幸せな人生観では、その時は一時的な幸せを感じても、すぐに色あせてしまうものだろう。

人は皆、無意識でいろんなメガネをかけている。メガネの例えの良いところは、もし今かけているメガネが自分に合わないなと思ったら、メガネをかけかえればいいということ。

自分が今どんなメガネをかけているか、一度考えるのもいいかも知れない。

では、「山登り的人生観」と「川下り的人生観」とは

人生観という意味では、「山登り」の例えもよく使われます。山の頂上を目指してひたすら上っていくというイメージで、すごろく的なイメージ。

つまり、頂上に到達したら上がり(終わり)というわけ。

しかし、頂上に到達した後のことを考えている人は意外と少ないと思う。実際の山登りで考えてみれば、頂上に到達した後は、ただひたすら降りてくるだけといことになる。もし降りてこなければ、それは遭難したということであり、まさに「目標喪失」に陥ることではないか。

これは笑いごとではなく、「人生は山登り」というメガネは、特に年齢との関係においてその傾向が強いかもしれない。だいたい40代をピークにして、それ以前は上昇曲線で、それ以降は下降曲線を描くというイメージと思っている人が多いかもしれない。

川下り的な人生観

長い目で見ると、人生は川下りに例えたほうがしっくりくるのではないか。

川は最初に細い小川から始まって、徐々に他の小川と合流しながら太くなっていく。そして最後は大海へととつながる。

人生も、赤ちゃんという小さな命から始まって、徐々に多くの経験しながら人生が広がっていき、そして最後は「死」という大海原に向かっていく。

人生は山に登ることだけがゴールではなく、その先もずっと続くもの。だから人生は死ぬまでのプロセス全体のこと、と考えるほうがしっくりくる。

こう考えると、日々新しい経験をして、日々ワクワクして、生きていけるのではないか。

川にはいろんな流れがあるだろう。順調に流れている川もあれば、激流に飲み込まれながら川を下ったり、流れがとまっている時も。

でも、人間はみんな死という大海に向かって、それぞれの川の流れに身を任せているのではないだろうか。

だったら、自分らしく、自分のペースで、自分で好きな川を選んで、誰とも比べず、大海に向かって川下りを楽しみたい。

もし川で溺れている人を見つけたら、手を差し出して助けてあげたり、もし川下りを怖がっている人がいたら、大丈夫だよと優しく励ましてあげられたらいいな。

そして大海を目の前にしたとき、「あー良い人生だったなぁー」と自分が自分に言ってあげられるようにできたら幸せだな。

成功しようが、失敗しようが、人生はすべてを丸ごと飲み込んで大海に流れていく、、

これも、ウェルビーイング。

昭和~令和までサラリーマンやってます。心がフッと軽くなる考え方や、元気に生きて行こうという気持ちになるブログを目指してます。誰かのために、もっとWell Being(幸福)な世の中のために!

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    コメント

    1. 甘党 より:

      高村光太郎はご存知でしょうか?

      • yasu より:

        コメントありがとうございます。はい。詳しくはないですが、高村光太郎は存じております。道程。