イギリスの哲学者カール・ポパーは、民主主義が抱える『寛容のパラドックス』として、
寛容な社会を維持するには、不寛容に対して不寛容であらねばならない、と指摘している。
つまり、ダメなものにはダメということ。
例えば、こんな話し。

① 言論の自由は民主社会の重要な柱ですが、ヘイトスピーチのような他者を攻撃する言論に対しては規制が必要となることがあります。完全な言論の自由を認めると、逆に弱者の声が抑圧される結果になりかねない。
② 多様性を重視する企業文化において、すべての価値観を無条件に受け入れると、差別的な態度を持つ従業員も許容することになります。これは結果として、職場の多様性や包摂性を損なう可能性がある。
③ みんなが仲良く遊んでいる公園があります。この公園では、誰もが自由に遊べて、お互いを尊重し合っています。これが「寛容な社会」。でも、ある日、意地悪な子どもたちがやってきて、他の子どもたちをいじめ始めました。公園のルールでは「みんな仲良く」となっているので、最初は誰も何も言いませんでした。しかし、いじめっ子たちはどんどんエスカレートして、最後には公園を支配してしまいました。そして、他の子どもたちは遊べなくなってしまいました。
まさに、「ならぬことはならぬものです」という有名な会津藩の言葉。
- 年長者の言うことに背いてはいけない
- 年長者には御辞儀をしなければならない
- 嘘をついてはいけない
- 卑怯な振る舞いをしてはいけない
- 弱い者をいじめてはいけない
何でもいい、はダメ。
これも、ウェルビーイング!
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