坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

戦争が続いている。。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とは、あるものを憎むとそれに関連する全てのものが憎くなってくるということ。

ロシアがウクライナを一方的に攻撃しており、多くの人々がロシア憎しの感情に駆られているんじゃないだろうか。そのため、戦争に関係ないロシアの音楽や芸術や、日本にいるロシア人も迫害されている。

頭では分かっている。音楽や芸術には戦争の責任はない。別々の話しだと。

この類の話しは、例えば家族の誰かが犯罪を犯したとすると、その家族までも犯罪者の家族だといって非難されることが多いのではないか。

頭では分かっている。犯罪を犯した人と、その家族は別の人間だと。

何が言いたいかと言うと、人間はそこまで理性的に理屈で割り切れるものではないということ。

前にも書いたが、感情〉理性 なのである。理性である程度は抑制できても、その限界を超えると感情が圧倒的に優る。

もっと理性的に行動すべきだとか、理屈で相手を説得すべきだとか言うけれど、その前に人間の脳の奥底には感情があるので、まずはそこに訴えることが必要なんだと思う。

「坊主憎けりゃ袈裟まで」、坊主と袈裟は何の関係もない。しかし、いったん坊主が憎いとなったら、身に着けてるものまで憎くなるのが人間の悲しい性。

ロシアとウクライナの行方は分からないけれど、まずはお互いの感情は感情として受け入れたうえで、何とか理性的な解決を切に望む。

ちなみに、「あばたもえくぼ」はこの反対の意味。

人の気持ちを理解すること。

これも、ウェルビーイング!

昭和~令和までサラリーマンやってます。心がフッと軽くなる考え方や、元気に生きて行こうという気持ちになるブログを目指してます。誰かのために、もっとWell Being(幸福)な世の中のために!

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