オリンピックが盛り上がっている。4年に一度の大会だから皆必死だ。「絶対金メダルをとるぞ」と思い通りに結果を出す選手と、金メダル候補だったが予選落ちする選手がいる。
結果に至った理由は様々だろう。さて、
オリンピックを観てて、以前読んだ本「とっても奇蹟な日常」(井辻朱美)に書いてあった「どーでもいいこと」というエッセイを改めて思い出した。
これは、映画「クロコダイル・ダンディ」に出てくる主人公の言葉から。

「この世界の金科玉条は二つだけしか無くてな、それは①が『どうでもいいことであること』、②が『それがどうにでもなること』なんだ。」
つまり彼は、「どーでもいいことだけが、どーにでもなるってことなんだ」と言っている。
(著者)
そうだ、と私はふと腑に落ちた。前から思っていたんだ。どーでもいいという程度の願いは、ばかによくかなうってこと。しかし、ダンディの言っているのは、もっと大きな真理だった。
何事もでも事態を動かそう、かなえようと思うなら、まず①にしなきゃならないということなのだ。
そしてたぶん、この世のほとんどのことは①にできちゃうことなのだ。
(例えば、、)
「就職したい、とか、課長になりたい、とか、家が欲しい、とか、自分があまりコミットしていない願いを外から見ると、ははは、どーでもいいことだよな、と笑うことができる。」
「しかし、いったんこの願いの中に巻き込まれると、それはもう自分にとって絶対に外せない重要な大義になってしまい、とうてい①とは思えず、したがって②に移行することもできない」
「私はかつて、大学に合格したいというのを一生のお願いとして必死にお祈りし瞑想していた。こうした『一念岩をも通す』式の願望実現のやりかたもないではない。今思えば、たかが大学だと思えるのだが、その当時の受験に巻き込まれた人間にとっては、それはもう『どーでもいいこと』とは思われない。これこそ執着だ。」
これは、仕事のことでも、人間関係でも、健康問題でもみんな同じだと思う。自分がその中にはまると、それが「どーでもいいこと」だということには、気が付かない。
どーでもいいことだけが、どーにでもなる、と言うのは私にも分かっていたことだったが、
「この世のほとんどのことは、どーでもいいことだ」というのが、彼が教えてくれたサトリだった。
確かに、必死に何とか頑張って目標を実現することは大事だけれど、その目標ってそんなに大事なこと?みたいな、一歩ズームバックして見れば「どーでもいいこと」かもしれないし、そう思えば逆説的だけど、目標達成できてるかも。
安住アナウンサーの就職面談の場面もそんな気がする。。どーでもいいような感じ。
肩の力を抜いて、リラックスして、執着を外すことが逆に願望実現のポイントだろう。
目標に対して必死になったり、どーでもいいと思ったりしながら、やっていけばいいかも。
これも、ウェルビーイング!
コメント
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